日本人 2009.09.08
「不思議」とか「オカルト」とかのタグがつけられているコピペサイトさんを結構見かけたけど、自分としてはただただ日本人と言うものを感じさせられました。
724 :本当にあった怖い名無し:2009/09/04(金) 14:31:38 ID:0U0ZTix/0
うちの婆ちゃんから聞いた戦争のときの話。
婆ちゃんのお兄さんはかなり優秀な人だったそうで、
戦闘機に乗って戦ったらしい。
そして、神風特攻にて戦死してしまったそうです。
当時婆ちゃんは、製糸工場を営んでいる親戚の家に疎開していました。
ある日の夜、コツンコツンと雨戸をたたく音がしたそうです。
だれぞと声をかけども返事はなし、
しょうがなく重い雨戸を開けたのですが、それでも誰もいない。
婆ちゃんは、それになにか虫の報せを感じたそうで、
「兄ちゃんか?」と叫んだそうです。返事はありませんでした。
57 名前:56 続き[sage] 投稿日:2009/09/05(土) 23:10:15 ID:BVp/TQ4g0
その後戦争が終わり、婆ちゃんは実家に戻りました。
そしてお兄さんの戦死の報せと遺品、遺書が届いたそうです。
婆ちゃんは母親、他の兄弟たちと泣いて泣いて悲しみました。
遺書には、お母さんや他の兄弟について一人一人へのメッセージが書いてありました。
婆ちゃん宛には、次のように書かれていたそうです。
「キミイよ。兄ちゃんが天国いけるように祈ってくれ。弁当を食べてから逝くから、空腹の心配は無い。
この国を、日本を頼んだぞ。負けても立ち上がれ、誇りを捨てるな。
まずしくともよし、泥をかぶってもよし。かねを持っても、うまいものを食ってもよいのだ。
ただひとつ心を汚すな。それが日本人だ。心を汚されたときこそ、おこれ。
黄色のりぼんがよく似合っていた。兄はいつも共にある。うつくしくあれ、キミイよ。」
婆ちゃんは疎開先の製糸工場にいるとき、当時出来たばかりの新商品である黄色のヒモを
毎日お下げに巻いていたそうです。
お兄さんにその黄色のヒモを見せたことは一度も無かったので、
あの雨の日にワタシに会いに来たんだと、婆ちゃんは生涯信じていました。
心のありよう。
それが民族のありかたであり、大切な、一番大切な部分なのでしょう。
日本人である事に誇りをおぼえると共に、そうあれてないのでは?と自問してしまう自分に恥ずかしさも感じる昼下がりです…(ノω<;)
コメント
オカルト系なのに、特攻隊の手紙には弱いです・・・、自然と涙が零れます。
この若者たちは、なんて純粋なんだろう。
家族や人を愛する気持ち。これだけはいつの時代も変わらないはずなのに・・・
それを侮辱、踏み躙る者あるならば、そいつは日本人であって日本人にあらずです。
しかし、今日の日本はリバタリアニズム的というか、アナキズムというか・・・これが、彼らが命を懸けてまで守った未来だったのだろうか?
そう思うと、また涙が零れるのです。
一方で、僕自身、心汚してる日々を反省・・・。
すみません、つい感傷的になってしまいました。
>>lablogさん
まさしく『襤褸は着てても心は錦』ですね。
それぞれが自分達の役割をちゃんと知り、それを誇りとしていた時代の名残だと思います。
「自分が何者であるか」
ちょっと哲学的風味ですが、昔の日本にはそれが明確に存在していたのかもしれませんね。
ちゃんと?勉強を重ねるうちに、当たり前の日本が好きになり、気付いたら先人を敬う心根がありました。
学校教育よりは、両親や祖父母に学んだ部分ですが、「恵まれてるなぁ…」としみじみ思います。
少しでも、先人の方々の心のありように近づけるよう、頑張りたいですね!