読み手と作り手と大衆と 2009.11.05
マンガ14万冊!明治大学が米沢嘉博記念図書館オープン
本日10月31日12時、明治大学付属のマンガとサブカルチャー専門図書館「米沢嘉博記念図書館」がオープンした。
米沢嘉博記念図書館は、2014年に完成する予定の東京国際マンガ図書館(仮称)の先行施設。2006年に亡くなったマンガ評論家でコミックマーケット準備会代表の米沢嘉博のコレクションを中心に保存している。
(後略)
~COMIC ナタリー~
真・官から民へで取り上げた明治大学の漫画図書館についてです。
先日、エントリーを上げた後にタイミングよく同人の描き手と一緒に酒を飲む機会に恵まれこの話をしました。
コメントで諸問題についての情報を頂いていたので、アップ後に色々と調べてはいたのですが、描き手の意見は概ね反対派の意見と同じだったと思います。
それについて、自分なりに考えてみました。
反対の意見を見たり聞いたりしてみると、私としては感情論からの出発が多いと思いました。
そして、その正当性を補填する為に「古い本は奥付に本名や住所が載っている。個人情報保護の観点からもやめて欲しい」と言っている気がしたわけです。
もう一つは「自分の為に出した本が、別のところで利益を生み出す事になる」と言う点です。
まずは自分史から考えてみましょう。
そこを考えるためには、現在オタクと言われているカテゴリーがどのような存在を自負してきたかが重要な鍵になると思います。
そもそも、オタクは宅八郎のメディア露出以前では単純にマニア、もしくはアニメ好きなどと呼ばれていました。
イメージとしては、友人が少なく根暗で部屋にこもっているものが基本でしょう。そして、オタクという言葉が定着した現在でも、相手を貶める意味で使われた場合は上記のような印象が付きまといますね。
当時、そういった人達は「不健全」と言われ肩身の狭い思いをしてきました。
手塚治虫先生達以降、そのエンターテインメント性やコンテンツ力を着実に伸ばしてきた漫画・アニメ業界でしたが、思春期以降それらを愛好する事は社会的には間違いなく蔑視されいたでしょう。
どんなに面白くても、それを大衆の大多数が「面白い」と認識しなくては始まりません。そして、一部のヒット以外までの広範な知識などを持ち合わせればオタクと言われた訳ですね。
そんな環境下でも彼らは粛々と己の道を突き進んできました。
そして、そういった趣味の人達は自然と自分達をマイノリティであると定義し、それをおおっぴらにしないよう注意しながら暮らしてきたのです。
誇りを持てば良いのかもしれませんが、普段からバカにされると分かっているジャンルでそれをやると「痛い奴」になってしまいますからねw
創る。
この行為は別にテレビでもドラマでも漫画でもアニメでも映画でも、コンテンツを産み出している事に代わりはないのですが、大衆に受け入れられるものだけが持て囃され、さらにそれ以外を蔑視することによって優越意識が存在していた事もあったと思います。
ここは被害者意識かもしれませんがw
そんな”閉じられた世界”であったにも世界は、子供の頃の憧れをそのままに持ったつくり手が膨大な量の作品に支えられ成長していきます。
そこに「自分達は日陰者である」と言う自負を持ちながら…。
そんな日陰者の業界にも、いつしかスポットが当たるようになりました。アキバ系などと言った用語の誕生などもその辺に関係しているでしょう。
しかしそれは、テレビや映画などのネタが尽きたからです。妄想ですがそうとしか思えません。
理由は昨今の「バラエティの質の低下」「創作コンテンツにおける漫画原作の増加」などから推測して頂ければと思います。
先ほど「優越感」と書きましたが、オタク文化に対してスポットを当てる。当初それはイジめているのに近い感覚を視聴者に与えた事でしょう。
もちろん、視ている側は自覚などは全く無いと思いますが、成長過程において社会的に蔑視されてきたジャンルを面白おかしく放送すると言う事はそういう事です。
昔はビートたけしの昼番組やらで行われていたものを、一般人を対象とした構成によって似たような面白さを追求した訳です。お笑いで言うシロートいじりを大々的にしてると言えば分かり易いでしょうか。
そんな事が繰り返された結果、マイノリティ限定の文化、と言うか領域だったサブカルは大衆に認識され、オタクと言うのも単に「アニメが好き」と言うだけで蔑視の傾向が少なくはなったと思います。
もし、漫画図書館がひっそりと設立され、マイノリティの間だけで小さなブームを生んでいたのならば、おそらく文句を言う人もそこまで多くなかったと思います。
しかし、コミケ運営の人は別としても、明治大学の一般人(敢えて一般人と言わせて頂きます)や元々そっち側の人間ではなかった人がこのプロジェクトに関わっているのです。
好きなジャンルは変遷しますし、作られた作品はその人を映します。
大衆紙にデビューするならともかく、同人誌と言うものはやはり身内、この場合はオタ趣味に一定以上の理解のある人に対してのみ出されている訳です。
そして、その中身はその人の青春や思い出、キャラ遍歴そのものだったりするわけですねw
一つ、質問をしてみます。
あなたは、昔書いたラブレターを興味本位だけで見ず知らずの他人に開かれたいですか?
一つ目の問題の原点はここにあるのだと思います。
ってかこれしかないでしょうwww
広く認知され、「守っていこう!」と言うのを社会的に行ってくれるのはありがたいのですが、大衆に広く公開されると言う点においてはありがた迷惑な訳ですw
ちなみに、頂いたコメントではこのようなご意見も。。。
昔のは奥付に住所当たり前でしたし、ン十年前の歴史ひもとかれたら脅迫事件の一つや二つ軽いのではと記事見たとき思ったんですが。
これは、当人が「恥ずかしい」と思うからこそ成立するものですね。
「は?それで?」と言ってしまったらそれまでです。
ただし、児ポ法などが成立したら話は別ですけどね。
日本のサブカルチャーの歴史を振り返る時、正直コミックマーケットと言うのは外せないと思います。
絶対に。
そして、誰がなんと言おうと、様々な人たちによって創られてきた作品群は資料としての価値はあると思っています。それがどんなに稚拙であろうと、どんなに恥ずかしい内容であろうとです。
同人誌と言うのはもっと内内のものですのですが、ネットでのアップ(不正w)や販売店の存在(虎の穴やメロンブックス)なども考えればしっかりと大衆向けに出回っているのです。
今後世界からも感嘆される文化の成り立ちの一つとして、そして今後業界を暗部もろとも背負っていく世代の為にも全てがしっかりと残される事が大事だと私は思います。
だからこそ、漫画図書館の設立は私にとっては喜ばしいものでした。
が、確かに自分の創ったもの、しかも自己満足の為だけに創ったものを未来永劫晒されるのは恥ずかしい事この上ないですね。私だって昔のコスプレ写真とかが延々と残り続けるのはちょっと勘弁ですwww
さて、やっと二つ目です。
自分の本が自分の意図しないところで自分以外の誰かを潤す事になると言う点ですね。
まずは図書館の利用価格を見てみましょう。


~米沢嘉博記念図書館~
意外と高いです。
これによってはじき出された利益は、明治大学のものになり施設の維持管理費に当てられる事となると思いますが詳細は分かりません。
無駄なコピーなどを防いだり、本の状態の悪化を防ぐなどの事も考えると悪くない価格のような気もします。
中には資料である本を乱暴に扱う人もいるかもしれないと思うと、もっと厳かで迂闊に動きたくなくなるような雰囲気の建物でも良かったような気はしますねぇ…。
まあそれはおいておいて。
この部分も感情論になるでしょう。
「自分の創ったもので自分とは関係の無い場所で利益が発生している」
これも笑って見過ごせる人が居るか居ないかというと、アウトな人は意外と多いのではないでしょうか?
その辺の理由から、反対派の人は見本誌をコミケ運営委員に渡すのを渋るかもしれませんね。
別に「保管してくれ」と言って頼んだわけでもなく、コミケ運営が創始者の意向というか希望に沿って管理を明大に任せているわけですから。
ただし、今後発行されるであろう同人誌も図書館に保管されるようになるのであれば、私は製作者にも利益はあると思います。もちろん、運営がそれを実行すればの話ですが。
一体どんな特典があるのか?
それはコミケ参加費orカタログの値下げです。
参加費の値引きは、参加者の低年齢化を助長すると言う弊害があるので正直オススメは出来ませんが、”見本誌の倉庫保管代”が減る事によってなんらかの恩恵が考えられても良いはずです。
となると、思いつくもので残りはカタログの値下げくらいしか思いつかないわけですが…w
もしくは、アイドルのコンサートなどで日付がずらされる事が少なくなるかもしれませんね。たまにありましたしねw
最初はほんの小さな思いだったと思います。
そこに「光りあれ!」と場所を提供し始めた人がいます。そして規模がだんだん大きくなり夏と冬の定番になりました。
今やコミケがあるのは当たり前となっています。
その当たり前が、どれだけの恩恵を与えてきたのかと言うのは、歴史的にみれば決して小さくは無いというのは誰もが認めるでしょう。
それに、こんなコピペがあります。
83 名前:名無しさん@八周年 投稿日:2007/09/24(月) 02:00:16 ID:uZ7LQ+jC0
そうなんだ、オタクがねえ。
日本人は2千年変態っていうか2千年ヲタクなのになw
アマテラスは弟のスサノオに犯されかけて引きこもり&アマノウズメのストリップに釣られ、
邪馬台国は女王じゃないと戦乱が収まらなかった巫女萌えだし、
古代朝廷には異民族の音楽萌えが確認されてるし、
紫式部は腐女子、清少納言はブログ女、紀貫之はネカマ、かぐや姫はツンデレ、
聖武天皇は収集ヲタで正倉院はヲタ部屋、後白河法皇は最新流行の追っかけ、
戦国武将は801三昧で秀吉はコスプレ&姫萌えじじぃ、
狂言は第一次お笑いブーム、鎌倉末期は新興宗教ブーム、戦国の茶道は萌え喫茶ブーム
江戸期に入るとエロパロ二次創作がこれでもかってぐらい溢れかえってて801弾圧。
事の良し悪しは置いといて、日本人は伝統的に変態遺伝子を受け継いでいるのは事実だ。
外国人から指摘されたとしても悪びれる必要はない。
堂々と2千年変態だと答えればいい。
~アルファルファモザイク~
「つくもっ☆」アニメ化決定
今ここで作品を残しておくと言う事は、日本文化が始まって以来の文化を先に繋いでいくだけの話です。
「自分の作品が」と考えると恥ずかしい事この上ないですが、日本と言う国が続いていく先に、こんな愛すべき?バカ共がいたって子孫達が笑える要素をしっかりと残してあげるのも大事じゃないでしょうかwww