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どうしてこうなった? 2009.12.07

子供の権利と言うものについてのコラムが朝日新聞(ネット)にあったので紹介してみたいと思います。
タイトルを見てもらえば察しはつくと思いますが、そう言う内容です。


子供の権利条約等については、ご自分でググってくださいね^^


不登校の子どもたちが「権利宣言」 価値観の尊重訴え
2009年12月5日7時27分

 「子どもの権利条約」の国連採択から11月20日で20年を迎え、東京のフリースクールに通う子どもたちが「不登校の子どもの権利宣言」をつくった。学び方を選ぶ権利を求め「共に生きやすい社会を」と大人に呼びかけている。

 前文と13の条文から成る権利宣言は、「東京シューレ王子」(東京都北区)に通う10代の子どもたち15人がつくった。

 前文は「私たち子どもはひとりひとりが個性を持った人間です」と始まり、「子どもの声に耳を傾け、個々の価値観を尊重してください」と訴える。第1条にうたったのは「学校へ行く・行かないを自身で決める権利」。他にも「競争に追いたてたり、比較して優劣をつけてはならない」などやめてほしいことを挙げたほか、「他者の権利や自由も尊重します」と自分たちの気構えも盛り込んだ。「まずは権利の存在に気づかなければ」と、最後の第13条には「子どもの権利を知る権利」をうたった。

 23日に「東京シューレ葛飾中学校」であったシンポジウムでは、権利宣言にかかわった13~16歳の4人が思いを語った。

 きっかけは昨年春。ユニセフの活動や子どもの権利条約を紹介する施設を見学した際、「君たちは幸せだ。ご飯を食べられ、学校に行けて戦争にも駆り出されない」と言われたことだった。

 重い言葉だった。自分たちを見つめ直そうと権利条約について勉強し、話し合いを重ねた。学校が合わなくて苦しんだ自分たちはどうしたらいいか。「甘えている」「わがまま」といった言葉にどうこたえればいいのか。

 今年は全国の不登校の子どもが交流する合宿も20年の節目を迎えるため、自分たちの気持ちを宣言にまとめることにした。40時間の討議を重ね、最後は「へとへとだった」という。

 参加した千葉県松戸市の工藤健仁(けんと)さん(16)は「他のフリースクールの生徒ともやりとりしながら自分たちに合うようさらに編み直し、広めたい」。宣言の全文は東京シューレのサイト(http://www.tokyoshure.jp/)で見られる。(上野創)




昔なら「?」となった後に「まーいーか」となったのですが、気になったら即エントリを書く事で少しながら周知出来ると言うのは良いですね。さすがネット。



さて、本文を見てみましょう。

不登校の子どもたちが「権利宣言」 価値観の尊重訴え



見出しは不登校の子供達が自分達の価値観も認めろと言ったというものです。

 「子どもの権利条約」の国連採択から11月20日で20年を迎え、東京のフリースクールに通う子どもたちが「不登校の子どもの権利宣言」をつくった。学び方を選ぶ権利を求め「共に生きやすい社会を」と大人に呼びかけている。




第一段落では、「共に生きやすい社会を」と子供達が呼びかけているそうですが、私には彼らがそれをこういったイベントまでして訴えるほど偉くはないと思います。
これは「行き過ぎた権利主張」ですね。なんせ、子供達は親御さんが稼いできたお金で暮らしている訳ですから、例外を除けば「健やかに、そして自分でしっかりと幸せになれるように」と言う願いを受けている事でしょう。
すなわち、生活できている事に感謝して、親御さんの思いに応えるのが子供としての、所謂義務と言うやつです。
不登校を自分からも脱しようとする努力をせずして権利を主張するのはおかしいと思います。
もちろん、様々な理由がありますから、一概には言えない部分があることは言及しておきます。


 前文は「私たち子どもはひとりひとりが個性を持った人間です」と始まり、「子どもの声に耳を傾け、個々の価値観を尊重してください」と訴える。第1条にうたったのは「学校へ行く・行かないを自身で決める権利」。他にも「競争に追いたてたり、比較して優劣をつけてはならない」などやめてほしいことを挙げたほか、「他者の権利や自由も尊重します」と自分たちの気構えも盛り込んだ。「まずは権利の存在に気づかなければ」と、最後の第13条には「子どもの権利を知る権利」をうたった。



次は第三段落です。

第1条にうたったのは「学校へ行く・行かないを自身で決める権利」。他にも「競争に追いたてたり、比較して優劣をつけてはならない」などやめてほしいことを挙げた



やはり注目したいのはこの部分です。
学校へ行く行かないと言う部分ですが、中学生であれば義務教育の範囲ですから、権利云々以前にこれは日本国民としての義務になります。
ですので、ガキのたわごとよりも「教育の場に行く義務」が優先されるのではないでしょうか?
高校生ならば退学すれば良いのです。そして働けば良い。
後で後悔しようがなんだろうがそれが「自由」と言うものです。自己責任だけ放棄して親元に寄生したまま楽をするというのは権利の行使ではなく単なる甘えですね。
「僕の苦しみを分かってくれない」と言う意見もあるかもしれませんが、所詮他人の心理なんて予測の範囲を出ません。
従って、考えはしますが完全に理解できるとは思っていません。
そう言われたら、なんでもかんでも「して貰う」のが当たり前の時点で自分が相当な甘ちゃんであると言う事を認識すべきと諭してあげたいと思います。



そして、その次に続く一文。
どこかで聞いたことがありませんか?
そうです、日教組教育が推進されて広まってきた「競争の否定」です。
反日団体キタ━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━ !!!!!と言う人もいると思いますし、「??」と言う人もいると思いますが、競争原理による切磋琢磨と適応分野への足がかりなどを考えるのまでもを否定する横並び教育ですね。
もちろん、負けたりすれば悔しいですし、それがコンプレックスになる人もいるかもしれません。
しかし、それならば他で勝てばいいのです。全知全能万能超人なんて、妄想の中にしかいないのですから。
そもそも、オトナが子供を褒めて伸ばしていく事を放棄してイデオロギーに傾倒した事しか出来ないことが問題ですね。
つまるところ、このシンポジウムはそういう人達が集まって子供を利用しただけなのでしょうが、巧い事誘導して添削して作らせたのだと思います。


 きっかけは昨年春。ユニセフの活動や子どもの権利条約を紹介する施設を見学した際、「君たちは幸せだ。ご飯を食べられ、学校に行けて戦争にも駆り出されない」と言われたことだった。



「君たちは幸せだ。ご飯を食べられ、学校に行けて戦争にも駆り出されない」

これを言われて権利宣言をするに至る過程が私には分かりません。
もし、この一言が皮肉で「日本みたいに恵まれた国に産まれて平和ボケしてるお前らが羨ましいよ」と言われたとしても、ただただ言葉のままに言われたとしても変ですね。
そもそも見学に行った施設がどこにあるのかも分かりませんが、それが本当に苦しい海外の現場だとしたら、この子達はもっと別の衝撃を受けていた事でしょうから、渋谷あたりの施設でも見に行ってしまったのかもしれませんね。


さて、子供達の考え方の流れは次のようになるはずです。


1.「君たちは幸せだ。ご飯を食べられ、学校に行けて戦争にも駆り出されない」と言われた。
2.子供の権利についてシンポジウムに参加する事を決めた。
3.権利宣言をした。


1と2の間に何があったのかが気になりますねw
記者からすれば同行するなり話を聞くなりして納得した上で書いたのかもしれませんが、どう見ても流れが変です。
記事を見るに、普通は「なぜ権利?」となるのが常識的な思考の持ち主ではないでしょうか?
「幸せだね」と言われて、思春期の子供が自発的に自分達の権利について考え直す理由が分かりません。いくら段落の順番を変えたからと言って、これで何も違和感を覚えないような能力しかない人しか新聞を読まないのでしょうか?ネットを見ないのでしょうか?
ああ、アサヒ新聞だからかもしれませんねw

と言う事で、本来の流れはこうなのではないでしょうか。


1.「不登校は悪いと言われてるけど、あなたが悪いのではなく社会(学校や親)が悪い。あなたたちにも権利はある」と吹き込まれる。
2.日本ユニセフの施設へ見学に行く。ここで例の言葉を言われる。
3.ディベートと言う名の誘導によって権利宣言を作成。


不登校の子供達は、以前から「あなた達には大人と同じだけの権利と言うものが認められている。社会はそれを認めていないだけ。あなたは何も悪くない」とでも不幸にも吹き込まれてきたのでしょう…。
実際に東京シューレのサイトとやらにあった宣言を見てみたのですが、「僕らには権利がある」「お前らはそれを尊重しろ。異論は認めない」となっているように見受けられました。
受け入れる強さや、他の分野に対して乗り込んでいく勇気、そしてそれを見つけるための柔軟性を育ててやるのが本来の対応だと思うのですが、この東京シュールとか言う団体は何をしているのでしょう?
子供は政治活動の単なる道具と思っているのでしょうか?


コンプレックスなどを緩和する際に、最も簡単な手法は「他者に責任を押し付ける」が挙がると思いますが、そうやって子供達を丸め込んだのかもしれませんね。
世間に疎く経験の浅い子供達と、それなりに苦しい思いもして子供を育ててきた親。
どちらがより社会的に正しい事を言うかは想像に難くないと思います。
惜しむらくは、「例外の存在は別として」と必ず脚注をつけなくてはいけないと感じてしまうくらいに自己中を繰り返している親御さんも決して少なくないと感じる世情がある事ですけど…。

こう言う権利バカが増えてしまった背景には、教育の軽視やイデオロギー教育などが挙げられると思います。
そもそも、教育勅語を守っていればそれだけである程度はしっかりとした子供の育つ社会になるのでは?と思ってしまいますね。


教育勅語 12の徳目
親に孝養をつくそう(孝行)
兄弟・姉妹は仲良くしよう(友愛)
夫婦はいつも仲むつまじくしよう(夫婦の和)
友だちはお互いに信じあって付き合おう(朋友の信)
自分の言動をつつしもう(謙遜)
広く全ての人に愛の手をさしのべよう(博愛)
勉学に励み職業を身につけよう(修業習学)
知識を養い才能を伸ばそう(知能啓発)
人格の向上につとめよう(徳器成就)
広く世の人々や社会のためになる仕事に励もう(公益世務)
法律や規則を守り社会の秩序に従おう(遵法)
正しい勇気をもって国のため真心を尽くそう(義勇)

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